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かたづけとおしゃれのブログ

たかが空瓶、されど空瓶

『贅沢貧乏』を始めとする森茉莉のエッセイはわたしのバイブルだ。ティーネイジャーの頃に読んで以来、茉莉の美意識とユーモアが大好きだし影響を受けたと思う。

 

森茉莉は言わずと知れた森鴎外の長女である。パッパ(茉莉は鷗外をこう呼ぶ)に溺愛され贅沢に育てられ、結婚後はパリへ、なんだかんだあって離婚して色々あって晩年は下北沢の古いアパートで一人住まい、生涯をそこで閉じることになる。エッセイはそのアパート時代に書かれたものだ。悲壮感は全くなく、茉莉によれば、その部屋は彼女の審美眼で選び抜かれたものが所狭しと飾られている美意識の城だ。とはいえ、蝶よ花よと育てられた茉莉には生活能力が全くなく、親しい人の証言によるとかなり雑然としていたらしいが。

 

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つい数日前にメイククレンジングがなくなったとき、ふと茉莉がオロナミンCの空き瓶を窓辺に飾って喜んでいたくだりを思い出した。瓶の肩のあたりのカットが陽にきらめく様子を大層美しく描写していたと記憶する。胸騒ぎがしてクレンジングの空き容器パッケージを剥がしたら「そうこれこれ!」という瓶が現れた。ここにハンドソープを入れるか食器洗い洗剤を入れるか数日悩んで(液体マルセイユ石鹸で両方を兼ねられれば良いのだけど)、ポンプ部分が明るい緑色なのが気に入らなかったハンドソープを選んだ。

 

そして私は市販のハンドソープのボトルを捨てることに成功した、イエイ!やったね!

 

おっさんが飲むような清涼飲料水の瓶が光に反射する様に美を見出し、好きな俳優がテレビに映れば大向をかける。森茉莉のエッセイの中では彼女は自分の運命を呪わないし、自由で活き活きとしている。人生の中の素晴らしい部分を見つけることが得意なのだろう。だから自分が置かれている世界にも美しいものや愛すべきものがあることに気づくのだ。その姿勢は受け継ぎたいが、晩年の汚部屋だけは避けたい。なけなしの生活能力をなんとか鍛えようという活力を、わたしは今も茉莉からもらっている気がしている。